Vol.01 「青春時代のひとコマ」
仕事をしてその報酬をもらうことは当然であり、且つ嬉しいものである。武蔵野女子大学、立教大学、共立女子大学の皆さんの稽古をし始めてからすでに四十年 近くが過ぎる。その間いつまでも心に残っている嬉しい報酬が三つある。ひとつは高校を卒業したての十八歳、教え初めの時春にクラブ開設、夏休みに中尊寺で 一週間の合宿をした。教える方も教わる方も初めてのこと。朝五時から夜遅くまで毎日毎日それは凄まじいまでの稽古であった。一週間の合宿が終り、帰る時部 長さんから、御礼ですと言って熨斗袋を渡された。思わず「エッ」と口にしてしまった。今思えば当然のことだが、その時はそんな気持ちでやったんじゃない、 と悔しさがこみ上げ、にらみつけて熨斗袋を突っ返した。取る取らぬの押し問答が続き、ついに受け取ったものの何とも気持ちが悪く、東京に戻り皆を引き連れ て新宿でお肉をたらふく食べて使い果たし、漸く落ちついたことをよく憶えている。私の純情青春時代のひとコマである。
二つめはクラブ発足当時の武蔵野女子大学の文学部長でいらした土岐善麿先生がよく部室の窓の下で、学生の謡を聞いておられた。たしか「鶴」(土岐先生作) の謡を稽古していて「昔ながらの玉津島山――」の中下げがなかなか謡えず、何度やっても出来ず癇癪をおこして帰る時であった。「安い月謝しか出せないのだ ろう、すまんなあ」とおっしゃって御自分の財布から一万円札を出し「温かいものでも食べなさい」と渡されたことがあった。「とんでもありません」と辞退し たものの孫に小遣いでも渡すような優しい面差しでいわれ、とても嬉しく頂いたことも貴重な思い出である。
もっと嬉しかった三つめ、これは何でもないことかもしれないが、なぜか心に残っている。新入生歓迎のオリエンテーションとやらで新入生の前で仕舞を 舞ってほしいと頼まれたことがあった。さまざまなクラブ紹介の途中のため、体育館のステージは土足で真っ黒。意にも介さず仕舞を舞っての帰りしなに「先 生、今日の御礼何もできません、すみませんこれで勘弁して下さい」と新しい足袋を差し出されたことがあった。皆の思いと私の気持が確りと通じ合っているこ とをこの足袋が全て語ってくれているようでとても嬉しかった。
悲しいというか寂しい思いをしたことのひとつは、いくらも続かなったがK大学に稽古に行っていた時、五人ほどの部員の三人が赤や白の車で乗りつけ るのに「スゴーイ」と内心思っていた。(今では珍しくもないが当時は学生で車を持つなど考えられなかった時代)。足の痛さに十分もたつと悲鳴をあげていた が、帰り際に「先生月謝」といって各々ポケットからクシャクシャの札を出し剥き出しで差し出すのには怒る気もなく悲しい思いをしたこと。
最近では某大学から香典袋で月謝を頂いたこと。もうこれは漫画の世界。とどめに泣くに泣けない話、それは空の袋を頂いたこと。
平成十六年十二月筆