|
|
喜多流能楽師塩津清人の長男として熊本に生まれる。
敗戦濃い1月の生れ、その8月には終戦。激動の時この世に出てきました。 |
|
|
|
|
|
|
能「桜川」の子方で初舞台
能には子供の役があり、それを子方と呼びます。世の中はまだ戦後の復興ままならない状況で、今のようにカセットテープもビデオもない時代でした。小学校にあがる前で、字も読めず、意味など全く解せなかった私は、厳しい父のもと、おおむ返しに謡って謡を覚える、回数やって身体で型を覚える、という修行の第一歩を踏み出したのでした。 |
|
|
|
|
|
|
能「経政」で初シテを勤める。
シテとは主役のこと。ちやほやされる子方の役からの卒業を意味します。
中学一年、世の中が少し能のような趣味のことに目を向け始めたころでした。 |
|
|
|
|
|
|
14才で十五世喜多流宗家喜多実師のもとへ内弟子修行のため上京しました。
ある日いつもは厳しい父がいつになく優しく「東京に行くか?」と私に尋ねました。私は、なにかとてもよいことが待ちうけているかのように錯覚し、銀座、渋谷という地名にあこがれもあり、二つ返事で「はい」といってしまったのでした。8月24日の夜行列車〈阿蘇〉で上京。
そこには文字通りの内弟子生活が待っていたのです。 |
|
|
|
|
|
|
父清人の古稀祝賀能で猩々「二人乱」を、塩津清人と舞う
能の中に「猩々乱」という曲があり、それをまれに二人でまう。能の中の位としてはかなり重い。 |
|
|
|
|
|
|
「翁」を勤める
能というよりは神事に近い曲であり、ある程度修行を積み通過する一地点。 |
|
|
|
|
|
|
「道成寺」を披き12年の宗家内弟子としての修行を終え独立
難易度からするとかなり高いものを要求される曲であり、つらく厳しい内弟子生活の総集編として師匠である宗家から許しを得て舞わせていただく、内弟子誰もが目指す能の中でも最高峰に位置する曲目です。 |
|
|
|
|
|
|
「石橋」の獅子を勤める
この曲には赤獅子<子獅子>と白獅子<親獅子>があり、まず子獅子から勤める。
全ての型を子獅子はきびきびと演じ、若さを必要とする。 |
|
|
|
|
|
|
財団法人能楽協会理事に就任
パリ、ガブリエル劇場で能公演を催し、絶賛の好評を博す
この時は全国の哲門会(塩津の門下)50名を越す団体でヨーロッパ旅行を兼ねて計画されました。 |
|
|
|
|
|
|
日本能楽会会員に推挙され、重要無形文化財総合指定を受ける
ハイデルベルグと熊本市の友好都市締結による日本週間に熊本市代表として派遣され、能公演を催す。
前回のパリ公演の好評が奏し、今回は総勢95名の大所帯で、成田空港特別室に置いて哲門会結団式を執り行っての出発となった。 |
|
|
|
|
|
|
サンフランシスコを皮切りにニューヨークまで7ヶ所のアメリカ公演参加
公演地が多く、駆け足だった記憶しかない。 |
|
|
|
|
|
|
国立能楽堂養成課シテ方主任講師となる
厳しい試験を通過してきた20数名の養成生も2年もするとみな落伍。
今直残っているにはたったの2名。残念なことである。
今上天皇の礼の折、奉祝能「石橋」喜多六平太の子獅子を勤める
ものものしい警備の中、出演者一同外務省に集合させられ、荷物をすべて点検の上、護送車のごとき車で会場のニューオータニへ。写真をとることは一切禁止。普段の疲れ方と違った記憶だけが鮮明に残っている。
ハイデルベルグ市からの再招聘により、再び能公演 |
|
|
|
|
|
|
全国哲門会(門弟の会)20周年大会を国立能楽堂で催す
世はまさにバブルの絶頂期、文化にも目が向けられ、波に乗った大会だった |
|
|
|
|
|
|
十四世六平太記念財団の理事に就任
「望月」を勤める
息子圭介が子方を演じ、伝統芸能を後に伝える使命に燃える。 |
|
|
|
|
|
|
ハンブルグ国立工芸博物館において能装束展オープニング能を勤める
ヨーロッパの重厚な建物で演ずる日本の文化、能の持つ芸術性の高さを誇りに思った一こまであった。 |
|
|
|
|
|
|
全国哲門会25周年大会を国立能楽堂で催す
北海道、東京、九州各地から馳せ参じたお弟子さん、この時の会は2日間の出演者数が100名を超える盛会となった。 |
|
|
|
|
|
|
ノルウェー王室より招聘、ウルティマ現代音楽祭にて能「羽衣」を勤める。
最初ノルウェーで、と話があったのは今回のオスロよりもっと北の地で白夜の時に薪能をという遠大な計画があったが、世界の経済が徐々に冷え込み、実現が難しくなった矢先王室よりのお招きに預かった。麻布の在日ノルウェー大使館の方々にもお世話になった。 |
|
|
|
|
|
|
喜多流15世宗家故喜多実生誕百年記念能にて「石橋」を勤める。
大恩ある先代宗家喜多実先生は1900年のお生まれ。満身の力をこめて舞った。
八ヶ岳薪能10周年記念能において「道成寺」を勤める。
壮大な神社境内、池の上に建つ能舞台、長い長い橋掛かり、1600名の観衆。四度目の道成寺はまた格別の思い出となった。
「石橋」親獅子を勤める。 |
|
|
|
|
|
|
復曲「風浪」の節付、型付に加担し、後シテを勤める
昔あったといわれる曲を福岡県大川市にある風浪神社でそのゆかりにちなみ、復曲。 |
|
|
|
|
|
|
ユネスコ世界遺産能楽認定記念能にて「羽衣」を勤める。多くの外国の方々に日本の伝統文化を紹介する機会が与えられた。 |
|
|
|
|
|
|
塩津哲生後援会の発足
多くの方から熱い支持を得て塩津哲生後援会が発足。会長には銀座資生堂社長池田守男氏に就任いただき全国から多くの入会を賜り、伝統文化継承への思いを一層強くした。
新作能「五輪書・武蔵伝」にて宮本武蔵役を勤める。
南仏カンヌ市日仏文化交流団体主催「日本の文化に触れる集い」にて、能の紹介をする。
パリ、モナビスマルク財団主催能装束展関連事業にて、在仏日本大使館広報文化セ ンターにおいて能講座を勤める。
(カンヌ・パリ詳細は、「様々な能・海外コーナー」を御覧下さい)
第一回塩津哲生の会 正和能(しょうかのう)を立ち上げ「山姥」を勤め、自身の求めるものが一つ先へ進んだ。 |
|
|
|
|
|
ドイツ、マイニンゲン博物館・ライプチヒ大学にて能装束展関連講座にて、能「羽衣」を勤める。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
芸術選奨文部科学大臣賞受賞 観世寿夫記念法政大学能楽賞受賞
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|